2011年09月27日

連続ツイート「豊かさとは何か」

2011年09月22日(木)に「豊かさとは何か」について連続ツイートしたので以下にまとめておきます。

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下川町で豊かさ指標づくりに向けてのヒヤリングを行っていて、昨日私も担当の方々と話した。「豊かさとは何か」。私の修士論文はこの問いかけから始まり、未だに自問自答している。「豊かさとは何か」について連続ツイートをしてみようかな。
posted at 10:21:45

ゆな(1)豊かさとは何か。暉峻淑子さんはこの問いかけをそのまま本のタイトルにされた。1989年、日本が高度経済成長の絶頂にあった頃だ。同じ年に、鶴見和子・川田侃編『内発的発展論』、宮本憲一著『環境経済学』も発刊されている。偶然ではない。
posted at 10:30:39

ゆな(2)お金とモノがあふれる豊かさと引き換えに、環境や人間らしい生活を破壊し続ける高度経済成長に対し、警鐘を鳴らし続けて来た人たちはいた。しかし、その鐘の音は多数派の琴線と共鳴することなく、経済成長も原発もはじけてしまった。
posted at 10:38:18

ゆな(3)経済成長が豊かさをもたらし、安全な原発がその屋台骨を支えるという神話は崩壊したのではないのか。しかし、今なお同じ構成の神話にすがろうとする人は絶えない。神は何度でも復活するのか。
posted at 10:50:26

ゆな(4)何かにすがりたい、誰かに任せたい、そうした心理がカルト的な宗教や社会を破滅に導く独裁者を生んできた。経済成長にすがれば豊かになれる、政治家と官僚に任せておけばなんとかなる、そうした勘違いから目覚めない限り、負のスパイラルから抜け出せない。
posted at 11:01:42

ゆな(5)暴走する資本主義を手なずけるのは自覚的な民主主義しかないだろう。それは日本のお任せ民主主義とは似て非なるシステム。豊かさを人任せにせず、自分が豊かだと感じる源泉を内に深く探る内省が必要だ。そして他者との対話による相対化と共感。
posted at 11:08:43

ゆな(6)豊かさの源泉を自分の内に辿ると意外にも他者との関係に行き着く。他者との関係性の中で生きる人間の豊かさとは、その関係性の中で心安らかに生きられることではないか。自分一人が幸せでも親愛なる他者が幸せでなければ不安に思う。
posted at 11:15:14

ゆな(7)不幸な人が少ない社会が豊かな社会ではないのだろうか。不幸だとは思わないが幸せだとも思わない人が多数を占めたとしても。100人の村の99人が幸せだと思っていても、その幸せが1人の不幸を見て見ぬ振りをすることによって成り立っているのであれば、その村は豊かではない。
posted at 11:31:13

ゆな(8)では、不幸だと感じている人が、少なくとも不幸ではないと感じるためには何が必要か。戦後はお金とモノが必要だったのだろう。しかし今は、必ずしもそうではない。経済的には裕福でも不幸な人がいる。まず不幸だと感じている人に話を聞いてみなければ分らない。
posted at 11:38:58

ゆな(9)不幸は本人も自覚していないところに根っこがあるかもしれないし、不幸な自分を客観視できたときに抜け出せるときもある。「豊かさとは何か」。この問いに答えるには「不幸とは何か」について考え対話を深める必要がある。
posted at 11:47:25

…というわけで、落としどころは考えていなかったんですが、そうか、不幸か、と自分でも新発見でした。自分は客観的には幸せな方なんでしょうが、主観的には不幸ベースというか暗い心持ちで、美しい森や美しい空に出会えた時、娘の笑顔や寝顔を見た時なんかに一時的に幸せを感じます。
posted at 11:54:54
posted by ナスケン at 16:24| Comment(0) | 連続ツイート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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