2013年01月10日

連続ツイート「自分の物語を生きる者のみが、希望を語ることができる」

歴史的な?衆議院選挙の結果を受けて2012年12月16日(日) から2012年12月17日(月)にかけて久しぶりに連続ツイートしたのでまとめておきます。

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2012年12月16日(日)
久しぶりに連続ツイート、いってみますか…
posted at 23:27:42

高齢化率約38%の地域に暮らしながら自分より年上ばかりの意思決定プロセスに触れているせいか、今回の選挙の方が日本の現実をより正確に反映している気がする。前回はホントにこのマニュフェストでこの国の政権取れたの?と半信半疑だった。
posted at 23:28:55

元の木阿弥。宮崎駿さんが「今ファンタジーを僕らはつくれません。子どもたちが楽しみに観るような、そういう幸せな映画を当面つくれないと思っています」と言う時代、「人生を根こそぎにしようという風」が吹き始めた時代…見て見ぬ振りは結局無理だった。
posted at 23:33:56

市場における神の見えざる手の失敗、民主主義における任せる政治の失敗、市民運動における二項対立型運動の失敗…全ての失敗をヒトゴトにせずジブンゴトとして引受けることができるのか。失敗から学び成功の源とすることができるのか。まだまだ続く撤退戦を負け続ける覚悟はあるのか。
posted at 23:44:29

負け続ける覚悟と同時に「子どもたちにむかって絶望を説くな」という児童文学の精神を。「生まれてきてよかったんだ」というエールを子どもたちに。特に福島の子どもたちに。そして、自分自身に。
posted at 23:55:24

2012年12月17日(月)
撤退戦、負け続ける覚悟と書いたけど、そもそも戦いではないんだよな…勝つか負けるか、白か黒かの討論ではなく、あなたとわたし、白地に赤にカラフルに、みんなちがって、みんないい、そんな対話の世界へと、明日から、いや、今、ここ、対話から。
posted at 00:01:36

今、ここの対話は、自分の物語との対話から。今日、あなたが投票用紙に書いたあの人、その政党は、本当にあなた自身の物語に登場するのか。どこどこの組織に属するワタクシというフィクションに出てくる人や政党ではなかったか。あなたは今日、今を生きていたのか。
posted at 00:10:44

私たちは子どもたちに絶望ではなく「生まれてきてよかったんだ」というエールを送らなければならない。しかし、それはフィクションであってはならない。であるならば、私たち自身がフィクションを生きていてはならない。自分の物語を生きる者のみが、希望を語ることができる。
posted at 00:15:53

…うーん、最後の一言が、自分に一番ぐさりときた気がする(苦笑。今夜はこの辺で。
posted at 00:17:41
posted by ナスケン at 17:01| Comment(0) | 連続ツイート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月15日

連続ツイート「自然とのシンクロ率」

以下、結果的に連続ツイートとなったもののまとめなんですが、今回は、私のツイートに対して @momo_hachi さんが連続ツイートしてくれて、それが真摯に農業と向き合っているからこその響きが心に伝わってきて、ぜひシェアしたいと思い、ご本人の了解を得ることができたので、一緒に掲載します。

--以下、@nasuken16(私)のツイート--

どうも最近、というか近年というか、自然とのシクロ率が高まってる気がする。気圧の変化が激しいと頭痛になったり、「男」心と秋の空だったり、満月に眠れなかったり。単に体力が低下して自然の法則に逆らえなくなっただけか。
posted at 02:30:25

自然とのシンクロ率が高まってくる(ということにしておく)につれ、音楽の志向も変わってきた。そもそも音楽を聴かなくなって来たし、ポップやロックよりクラッシックやジャズを好むようになってきた。絵や彫刻などアートへの興味も高まってきた。
posted at 02:38:18

新しさより普遍性を、言葉より言葉にならないものを、恋より愛を求めるようになってきたのか。でも、それは若い頃から求めていたような気がする。ようやく求めていたものを手に取って眺めることができる歳になってきたということなのかな。
posted at 02:45:05

今独学している「システム思考」は、要するに要素間のつながりを全体的(ホリスティック)な視点で俯瞰することなんだと思うんだけど、そんなの自然を体感的に理解していれば当たり前のこと。
posted at 02:54:09

当たり前のことを当たり前として全体的かつ同時に理解できないほど退化した現代人は、個別かつ段階的に学習しなくてはならない。しかし、理論が進化すればする程、その理解は頭だけでは困難で何らかの体験を通じて心を動かさなくてはならない。
posted at 02:57:25

それでワークショップが流行るんだけど、工程管理のしやすさから屋内でやる場合が多い。しかし、自然に身を置くこと以上のホリスティックな体験はないわけで、そのことにどこまで自覚的かどうかがワークショップの質を左右する。
posted at 03:05:10

そういう点で、昨日のナチュラル・ステップのワークショプでは、自然にこそ出かけなかったけど「小さな地球」というプログラムを通じて自然を体感する機会が最初に組み込まれていたのが素晴らしかった。しかも、終了後も継続的な観察をする楽しみと気づきも組み込まれていた。
posted at 03:11:51

そして、自然に身を置くことを重視しているからこそ森のムッレ教室というフィールドに幼児を連れ出す環境教育にも同じメンバーが取り組んでいる。ドイツの研究では、一般的な幼稚園より森の幼稚園の卒園生の方が、学習能力、コミュニケーション能力などほとんどの項目で評価が高い。
posted at 03:23:30

私自身は砂浜を埋め立てた人工的な工業地帯、公害指定地域で産まれ育ったけれど、その反動で自然を求め、本来の人間性を求め、26歳から田舎に移り住んでいる。干支が一回りして、ようやく自然とのつながりや「豊かさとは何か」に気付き始めているのかもしれない。
posted at 03:33:03

というわけで、満月の夜更け、結果的に自然とのシンクロ率についての連続ツイートとなりました。今ならエヴァンゲリヲンも操縦できる気がします。笑
posted at 03:42:07

--以上、@nasuken16(私)のツイート--


--以下、@momo_hachiさんのツイート--

@nasuken16 農業をやってて思うのは、現代人は人の言葉を聞いて(読んで)わかったような気になってしまう人が多すぎるということ。もっと自分の五感を総動員して観察して考察することも重要だと思うの。さらに五感だけじゃない、別な何かが重要。なんだろう?想像力?
posted at 7:39am

@nasuken16 たとえば地上に見えているトマトの枝葉だけじゃなくて、根の様子とか地中奥深くの水分とかが重要。「本にこう書いてある」「ネットで検索した」だけじゃなくて、目の前のトマトを見てさらに何かをやってみて自分で考える。そういうことをやっていると「生きていく力」がつく感じ
posted at 7:42am

@nasuken16 「生きていく力」がつくと、周りに惑わされずに、自分の判断ができるようになると思います。自分の判断は万人にとって正しい判断とは限らないけど、納得のいく判断というか、自分の人生が豊かになるというか、うまく言えないけど、そんな感じ。これができるといつも幸せ。
posted at 7:45am

@nasuken16 こういうことってうまく言葉にできなくて、なかなか伝えられなくて、もどかしいナー。
posted at 7:47am

--以上、@momo_hachiさんのツイート--
posted by ナスケン at 23:33| Comment(0) | 連続ツイート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月27日

連続ツイート「豊かさとは何か」

2011年09月22日(木)に「豊かさとは何か」について連続ツイートしたので以下にまとめておきます。

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下川町で豊かさ指標づくりに向けてのヒヤリングを行っていて、昨日私も担当の方々と話した。「豊かさとは何か」。私の修士論文はこの問いかけから始まり、未だに自問自答している。「豊かさとは何か」について連続ツイートをしてみようかな。
posted at 10:21:45

ゆな(1)豊かさとは何か。暉峻淑子さんはこの問いかけをそのまま本のタイトルにされた。1989年、日本が高度経済成長の絶頂にあった頃だ。同じ年に、鶴見和子・川田侃編『内発的発展論』、宮本憲一著『環境経済学』も発刊されている。偶然ではない。
posted at 10:30:39

ゆな(2)お金とモノがあふれる豊かさと引き換えに、環境や人間らしい生活を破壊し続ける高度経済成長に対し、警鐘を鳴らし続けて来た人たちはいた。しかし、その鐘の音は多数派の琴線と共鳴することなく、経済成長も原発もはじけてしまった。
posted at 10:38:18

ゆな(3)経済成長が豊かさをもたらし、安全な原発がその屋台骨を支えるという神話は崩壊したのではないのか。しかし、今なお同じ構成の神話にすがろうとする人は絶えない。神は何度でも復活するのか。
posted at 10:50:26

ゆな(4)何かにすがりたい、誰かに任せたい、そうした心理がカルト的な宗教や社会を破滅に導く独裁者を生んできた。経済成長にすがれば豊かになれる、政治家と官僚に任せておけばなんとかなる、そうした勘違いから目覚めない限り、負のスパイラルから抜け出せない。
posted at 11:01:42

ゆな(5)暴走する資本主義を手なずけるのは自覚的な民主主義しかないだろう。それは日本のお任せ民主主義とは似て非なるシステム。豊かさを人任せにせず、自分が豊かだと感じる源泉を内に深く探る内省が必要だ。そして他者との対話による相対化と共感。
posted at 11:08:43

ゆな(6)豊かさの源泉を自分の内に辿ると意外にも他者との関係に行き着く。他者との関係性の中で生きる人間の豊かさとは、その関係性の中で心安らかに生きられることではないか。自分一人が幸せでも親愛なる他者が幸せでなければ不安に思う。
posted at 11:15:14

ゆな(7)不幸な人が少ない社会が豊かな社会ではないのだろうか。不幸だとは思わないが幸せだとも思わない人が多数を占めたとしても。100人の村の99人が幸せだと思っていても、その幸せが1人の不幸を見て見ぬ振りをすることによって成り立っているのであれば、その村は豊かではない。
posted at 11:31:13

ゆな(8)では、不幸だと感じている人が、少なくとも不幸ではないと感じるためには何が必要か。戦後はお金とモノが必要だったのだろう。しかし今は、必ずしもそうではない。経済的には裕福でも不幸な人がいる。まず不幸だと感じている人に話を聞いてみなければ分らない。
posted at 11:38:58

ゆな(9)不幸は本人も自覚していないところに根っこがあるかもしれないし、不幸な自分を客観視できたときに抜け出せるときもある。「豊かさとは何か」。この問いに答えるには「不幸とは何か」について考え対話を深める必要がある。
posted at 11:47:25

…というわけで、落としどころは考えていなかったんですが、そうか、不幸か、と自分でも新発見でした。自分は客観的には幸せな方なんでしょうが、主観的には不幸ベースというか暗い心持ちで、美しい森や美しい空に出会えた時、娘の笑顔や寝顔を見た時なんかに一時的に幸せを感じます。
posted at 11:54:54
posted by ナスケン at 16:24| Comment(0) | 連続ツイート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする