2012年06月06日

『かがり火』寄稿文+

地域づくり系の雑誌『かがり火』に寄稿した文を基に、ブログ用に画像や動画を加えてみました。

先日(2012年6月4日)、明治学院大学ボランティアセンター主催の講演会で話した内容は、これに加えて森からの伝言「今ある大きな環境問題を解決して次世代にわたす―チーム2050結成!?―」森からの伝言「地方自治は民主主義の学校である」を合わせてお読みいただくとほぼ再現できるのではないかと。

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私は今、北海道の下川町(2012年1月末人口3,644人)を拠点にNPO法人 森の生活の代表として活動しています。

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地図中の A が下川町の位置


森林を活用した地域づくりではそれなりに名の知られた下川町において1次産業と2次産業をつなぐ3次産業の担い手として森林体験事業を核に2005年に起業し、ソーシャル・ビジネス・アワード2009奨励賞をいただくなど高い評価をいただいています。しかし、期待値に実態が追いつかない面があったりと、決して順風満帆の航海ではありません。

森の生活は、健康的で持続可能なライフスタイルを創造することを社会的使命とし、多様性の象徴である森と同じく様々な事業が取り組んでいますので、ここではそれぞれの事業を簡単にご紹介して「いろいろやってるなぁ」ということだけでも知っていただけたらと思います。

広義の体験事業としては、人気のエッセンシャルオイルづくりなど予約制のプログラムを提供しつつ、オーダーメイドの体験プログラムや森林活用・環境関係の視察研修のコーディネイト、インターンシップ受け入れ、各種セミナー講師・パネラー・ファシリテイター、コンサルタントも手がけています。

受託事業は年々増えてきて、下川町の森林環境教育(幼・小・中・高)公共事業利活用推進のためのアロマ・ハーブの普及啓発などを地域密着型で手がけてきました。新年度からは里山文化がなかった下川町で身近な雑木林との関わりを創出するコミュニティデザインにも取り組みます。

下川町地域間交流施設「森のなか ヨックル」という宿泊施設の指定管理者にもなっていますが、こちらは委託料なしの独立採算制で、しかも年間最低70万円を役場に納め、さらに、利益が出た場合は折半という条件で経営しています。農的な暮らしを体感できるフィールドとして食べられる庭づくりにも取り組んでいます。

森林資源の有効活用と高付加価値化の最前線である北海道モミ精油などの製造販売事業にも取り組んできましたが、熱意ある担当者から事業譲渡の申し出があり、2012年4月1日から株式会社フプの森へとバトンを渡しました。新体制のもとで人材を活かし地域の資源としての事業の魅力をさらに引き出すことが下川町全体の発展にもつながることを期待しての決断です。

昨年は、社会的責任 (SR: Social Responsibility)活動として、東日本大震災及び東電福島原発事故の影響による被災地支援活動を行いました。@被災地に北海道モミ精油をお届け、A森のなかヨックルで自主避難家族の受け入れ、Bふくしまキッズ夏季林間学校の子供たちを受け入れ、の3つです。近年CSRに取り組む企業が増えていますが、社会的責任を果たすべきは企業のみならず社会の構成員全員なのですから、NPOとして主たるテーマで活動するだけでなく、その時々に応じてSR活動が必要だと思っています。


ふくしまキッズ夏季林間学校の様子


以上の事業を通じて地域の働き場を少しずつ広げ、2人で設立した法人が2011年度には8人体制となりました。2012年度は、前述した事業譲渡もあり、常勤スタッフ4人、パートスタッフ3人の7人体制と少し縮小してのスタートです。私自身は他の役割もあり、スタッフに実務を任せる体制に移行しています。

森の生活以外では、NPO法人 日本森林療法協会の理事長として「すべての人のよりよく生きる力を解き放つこと〜すなわちエンパワメントを森とのつながりの中で実現していくこと」を社会的使命に「森に行って自然に無理なく自分自身をケアする健康法」である森林セルフケアを全国に拡げるため、東京、大阪、名古屋、仙台などで体験会や講座を開催しています。


植物療法ネットワーク東京フォーラム2012の報告で使用したスライド


また、昨年の統一地方選で下川町議会議員に無投票当選し、政治の世界にも足を踏み入れ、民主主義の学校である地方自治の現場で日々精進しています。

ざっと以上のような活動に下川に軸足を置きながら取り組んでいる私ですが、出身は名古屋です。1973年、山口百恵がデビューし、ドラえもんのTV放映が開始、巨人がV9を達成、第二次ベビーブームで誕生した団塊ジュニア世代の中でも出生数がピーク…今振り返れば、日本の高度経済成長が絶頂を迎えた瞬間に生を受け、19歳まで同じ土地―といっても自然はなく、海岸を埋め立てた人工的な臨海工業地帯―で育ちました。

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生まれ育った場所の最近の Google マップの画像


そんな私がなぜ下川町に移住したのか…1つには、人工的な空間で育った反動で自然を身近に感じながら暮らしたいという感覚がありました。しかし、一番の動機は、自分の夢を実現したいという強い気持ちでした。その夢とは、持続可能な社会の構築です。

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現在暮らしている場所の最近の Google マップの画像


私は高校生の頃から「環境」を核に考え行動してきました。その大きなきっかけとなったのはオゾンホールです。冷蔵庫の冷媒などに使われているフロンが成層圏のオゾン層を破壊し穴をあけ、そこから紫外線が地表に達し皮膚がんなどを誘発する…人類の生存がおびやかされるグローバルな環境問題を知ったときに「この人類の危機を救うのは私だ!」と本気で思ったのです(笑)。

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高校の卒業文集に書いた青臭いメッセージ(恥ずかしい!笑)



私が高校を卒業した1992年、リオで地球環境サミットが開催され、当時12歳のセヴァン・スズキが「伝説のスピーチ」を行った


それで、環境のことを学ぼうと北海道大学に進学したのが下川移住の布石となりました。入学前は、高校生の浅知恵で、スペースシャトル的なものを打ち上げてオゾンホールまで行き、オゾンをまいて塞ぐといったように科学技術で環境問題を克服しようと考えていました。

しかし、大学というところはさすが最高学府だけあって、私のような浅知恵者に教養を身につけさせてくれる機会がたくさんあり、結局、科学技術での問題解決はいたちごっこで、その科学技術を人間不在、経済優先で使ってしまう社会のシステムを変えなければならないという結論に辿り着きました。

それで、自分自身の社会的使命である「持続可能な社会の構築」を実現する1つのアプローチとして「資本主義を民主主義で乗り越える」ことにチャレンジしようと思いました。そんなときに出会った「地方自治は民主主義の学校である」という言葉を真に受け、それなら民主主義の学校である地方自治に入学しなくちゃ!と思ったのが、下川移住の次の布石となりました。

同時に環境問題はさらに深刻化・グローバル化し、気候変動、特に地球温暖化の深刻さが増し、現在の人類活動が持続可能ではないことがいよいよ明確になりました。人類の営みを持続可能にするには…私が辿り着いた結論は、エネルギーや食の自給率が高いコンパクトなコミュニティを世界各地で群発させ、やがて世界をそうしたコミュニティのネットワークとして再編成するという構想です。その点からも地方自治へ飛び込む必要がありました。

そんな時に出会ったのが下川町です。修士論文『地域の内発的発展における「新住民」の果たす役割―北海道下川町を事例として―』を書くために延べ2ヶ月間町内に滞在しアルバイトをしながら調査を行い、その過程を通じてご縁をいただいた下川町役場に就職したのが1999年3月でした。

というわけで、元々私は下川町に縁もゆかりもない「よそ者」だったのです。26歳で移住したので「若者」でもあったし、大学院を出てすぐに人口4,500人程度(1999年当時)の町に移住して持続可能なコンパクトなモデルを構築するとほらを吹いていたので「馬鹿者」でもありました。地域づくりの担い手論で有名な3要素、若者、よそ者、馬鹿者をすべて満たしていたのです。

しかし、もうすぐ39歳、下川在籍13年で妻1人子2人、もはや若者でもよそ者でもなくなりつつあると感じています。そんな今、感じているのは、地域づくりの担い手の核心は「馬鹿者」に集約されるのではないか、ということです。

では、馬鹿者とは一体何者でしょうか。敬意を込めて1人モデルを挙げるとするならば、iPhoneとiPadで世界に情報革命を起こしたアップルの創始者で昨年他界したスティーブ・ジョブズになるでしょう。彼の名言として最も有名な「Stay hungry, Stay foolish」は「馬鹿者たれ」と意訳できるのではないかと私は思っています。また、彼は、スタンフォード大学の卒業式のスピーチでこう述べています。

「あなた方の時間は限られています。他の誰かの人生を生きて無駄にしてはいけません。ドグマにとらわれてはいけません。それは他の人たちの思考の結果とともに生きることだからです。他人の雑音によって自分の内なる声がかき消されてしまわないようにしてください。そして、最も重要なことですが、あなたの心や直感に従う勇気をもってください。心や直感は、あなたが本当は何になりたいか既に知っています。他のことはすべて二の次です」。


この動画の12:08から30秒程が該当部分だが、ぜひ全体を通して聞いて欲しい


スティーブ・ジョブズの言葉をヒントに私なりに定義すると、馬鹿者とは「馬や鹿のように自分の直感に従って生きる人」のことだと思います。「お前は馬鹿だ」、「常識はずれだ」と他人に言われようが、生存本能に従って「今、ここ」、「自分の物語」を生きている人のことではないでしょうか。

そう考えてみると、私は真の馬鹿者ではなかったような気がしてきました。私はある時点から「自分の物語」ではなく「かくあるべし」という理想像としての「奈須憲一郎」を生きてきたのではないか。最初は親を喜ばせる「ため」から始まり、やがて人類の生存の「ため」、持続可能な社会を構築する「ため」という大義の「ため」にやってきたつもりでしたが、人の為(ため)と書いて「偽(にせ)」と成る漢字の成り立ちが示唆するように、それは偽善でしかなかったのかもしれません。

そしてその偽りの最も身近な犠牲者は、私自身の心だったのでしょう。自分の内からわき起こるメッセージよりも客観的に記録として積み上がる史実・実績を優先して生きてきた結果、時間にも気持ちにも余裕が無く、常にストレスを抱えて生きてきました。そしてその余裕の無さは私の心から同心円上に広がり、身近な人から順に傷つけてきたように思います。そして因果応報、私の身の回りには大小のトラブルが絶えませんでした。

一度すべての「為」から放れ「自分の物語」に戻る必要があると感じています。それは、つまり、私が真の馬鹿者となる時がようやく来たということでしょう。今までは、持続可能な社会の構築の為、社会や他者を変えようとしてきましたが、結局「自分が変わることからすべては始まるんだ」とようやく気づきました。これからの自分がとても楽しみです。
posted by ナスケン at 18:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月01日

腹の虫との共存共栄

「自分の物語を生きる」と決めたからには自分の気持ちを正直に綴ろう。

充実した「今、ここ」の連続がある一方で、いっこうに治まらない腹の虫。これは個人的な過去の傷と感じないふりをしてきた痛みに起因している<怒り>、そして現在進行形の世の理不尽に対する<憤り>、この2つに起因しているようで、根が深く、さらに日々再生産されているので非常に厄介な寄生虫。

このままでは胃潰瘍か何か内臓系の身体症状が出てきてしまいそうで心配。

爆発させてしまえば簡単なんだろうけど、それは他者を巻き添えに自分をさらに深く傷つける行為なので後悔が先に立ってブレーキをかけている。なんとかエネルギーに変換できないだろうか。とりあえず寄生虫と共存共栄する方法を模索してみよう。

気功の最後に丹田に気を収める作法があるが、ひょっとしてあれは腹の虫を治める作法なのかも…と、ふと思った。最近は呼吸法ですらおろそかになっていたし、芽吹きの季節、久しぶりに森で樹林気功をやってみよう。
posted by ナスケン at 00:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月28日

これが私の生きる道

今月はなにかと理不尽に感じることが多く、かなりストレスが溜まってるみたい…。ほんとに腹の虫というのがいるような違和感を下っ腹に感じてる(ただの中年太りという説は脇に置いておこう)。

仕事柄、そういうときには…と対処法は知ってるけど、ついつい甘いものやアルコールに逃げてしまう…。そうしてストレスが脂肪化してよけいに違和感、悪循環。弱いなぁ。こんなことでいいのか。夢は実現できるのか。

しかし、意外とふっきれてる。これでいいのだ。悩んで学んで、受難を生きよ。これが私の生きる道。

自分の物語を生きようと心に決め、「2050年までに今ある大きな環境問題を解決して次世代にわたす」と宣言してから、死を今まで以上に意識するようになった。

先に逝ってしまった友人の分も生きようとしていた時期がずいぶんあったけど、自分の物語を生ききれない半端者にどうして他人の分の物語を生きることができるのか…できるはずもない。

そんな簡単なことに気づくのに随分と長く曲がりくねった道を歩いてきてしまった。そしてこれからも歩き続けるのだろう。これでいいのだ。悩んで学んで、受難を生きよ。これが私の生きる道。そして死へ至る道。

死へ至る道と考えれば、長く曲がりくねっていた方がいいのだ。
posted by ナスケン at 23:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする